例えば、社外の勉強会に行くだとか、
何かの書籍を読むだとか、
そういうことで、
自社のしくみや現状に対して不満が芽吹いたりしないか、
という話があったり。
昇格/降格や、退職者のような
社内人事をいつ公開するか、みたいな話だったり。
エラい人(私もこっち側ではあるが)だけが情報を握っていることが
どこまで意味があるというのだろう。
ただ、そういう情報の境界が、組織の境界にもなっているのだと思う。
でも、メリット/デメリットあった上で、それを選んでいるのだろうか。
確かに私には見えていない知らないこともあって
私に判断できないこともあるのだろうし。
経営層になれば、不安もたくさんあるし、リスクを小さくしたいとも思うだろう。
「余計なことを知らせる必要はない」というのは
組織を維持する上で必要なことなのだろうか。
私自身が、いろんな情報にアクセスできる環境を好むせいもあるし。
各自がいろいろ考えるのは仕方がないとも思っているし。
でも、なんだか、そういうことの積み重ねで、
逆に不安や不信感が生まれたりすることもあるのではないか。
知らないからこその勘違いや思い込みもあるのではないか。
どうせ勘違いするんなら、
隠しごとなんて、しなくていいんじゃないの?って
かるく考えたりするんだけど。